What's new / 進学通信掲載記事 / 進学通信No.77-京都女子中学校・高等学校

進学通信No.77-京都女子中学校・高等学校
11
3月
  • 進学通信No.77-京都女子中学校・高等学校
  • No.77 . 京都女子 . 教育問答 . 進学通信 .

PROFILE
昭和26生まれ、福岡県出身。自らも僧籍にある仏教学の研究者だったが、縁あって教職の道へ。宗教科・英語科・社会科の教職免許状を持つ。平成元年に宗教科教諭として同校へ赴任。平成14年より中学校教頭、同24年より現職。

京都を象徴する景観を持つ“東山”の一角に学び舎を構え、女子校としての矜持(きょうじ)を忘れず、120年以上の永きにわたってその教育を実践する京都女子中学校・高等学校。時代の流れや市場経済的人材観が、教育の本質的意義さえ変容させつつある今、同校が守り続けようとするものとは?林信康校長が語る「私学の原点」は、教育の本質を思い出させてくれます。

私学が私学であり続けるということ
まず、近年の教育を俯瞰して感じられることや、問題意識などをお聞かせください。

 社会・経済、文化のグローバル化・ボーダーレス化が進み、近年では人工知能などの科学技術の進歩により、社会の高度化・複雑化が始まっています。

 文部科学省もそのような時代の流れに対応すべく、生き抜く力を育てようと、教育改革を推し進めています。ただ、経済戦争に打ち勝つための人間を育てるというのであれば世界の平和は実現できません。人格の完成を目指し、世界の平和と幸福のために貢献できる人間を育てることが、教育の本来の目的です。

 また、教育改革システムも実際思うようにはいかないものです。目の前に迫った大学入試制度改革も、評価方法や英語民間試験導入の延期など迷走の様相を呈し、課題が山積しています。このような課題にぶつかったとき、いつも「私学としてどのような教育を追求していくか」という原点に立ち返っていきます。

学校は公教育機関ですから、社会や時代、あるいはそれを見すえた文部科学省が示す方針に沿った教育を行うのが原理原則です。一方で私学には、それぞれの学校に自らが追い求める理想の教育像がありますよね。それが私学の私学たるゆえん、と申しますか。

 そうです。それが建学の精神や教育理念となり、各校の個性となっているわけです。加えて私学には「経営」という側面が常に同居しており、それを切り離して考えることはできません。具体的には、安定した生徒数の確保です。学校という組織の運営や維持は現実として大切ですが、私学としての理想の教育を提供し続けるため、ひいてはそれをもって生徒たち、そして社会に資するためにも、私学は「経営」していかなければならないのです。

確かに、ときに私学は「経営」のための決断を迫られることがあります。

 たとえば、男子校・女子校だった学校が共学化することもその一つでしょう。もちろん、共学化自体に問題があるわけでも、共学化に踏み切られた学校さんを否定する意図なども毛頭ありません。別学が増えている海外と違って、日本では共学志向が強いことも、ひとつの「時代の流れ」と言えるわけですからね。

 それをよく理解したうえで、私があえて申し上げたいのは、共学化そのものではなく、それによって建学の精神まで変わってしまうことへの恐れです。建学の精神は私学にとって原点であり、アイデンティティ、存在意義そのもの。それが変わるというのは、考え方によっては「違う学校になる」「自らの存在を自ら否定する」ということさえ意味すると思うからです。

 たとえば、本校は女子校です。女子校として目指してきた理念、女子校だからこそできた教育、脈々と積み重ねてきた文化、知識やノウハウもあります。それが薄れてしまうことを懸念しているのです。

女性ならではの共感力を活かしたリーダーシップを育てたい
女子校であり続けることが、貴校の存在意義の一つであると?

 それは大いにあると思いますね。厳密には、女子校ならではの教育を届け続けること、と言えるでしょうか。

 思春期の男子と女子では発達段階にもそれぞれの特徴がありますよね。一般的に、同年齢でも女子のほうが精神的な成熟度は高いなどとも言われます。学力も別学にしたほうが伸びるというデータがあります。そうした違いなどを念頭に置くと、何が最適な教育環境なのかも変わってくるはずです。

 特に日本の場合、男尊女卑という考え方が根強く残っていることも見逃せません。男性中心・男性上位とする社会的価値観です。ジェンダー問題については、法律や組織の制度上では改善も進んできましたが、まだ十分とは言えないうえ、長年にわたり刷り込まれた感覚は、無意識に形となって表れます。学校という環境で例えれば、変化はしていますが、まだ生徒会や委員会でも、男子が会長、女子が副会長というポジションになりがちではないでしょうか?

考えてみれば、そんな「定位置」があること自体、おかしな話ですね。

 先ほども申しましたように、近年は男女平等や女性の権利に対する意識も変わってきました。しかし私は、いまだどこかに意図しない「男性優位」の考えが社会に残っているように感じます。現在の男女平等は、女性が男性と伍することが目的になりすぎている部分があるのではないかと。

 これは「女性の男性化」とも表現できます。とにかく「女子も男子と同じように」、まず男子が優位であること0が前提で、女性もそこへ並べようという発想です。かつての男尊女卑や女性差別への憤り・反省が根底にあるのかもしれません。

 言うまでもなく、権利という意味においては女性も男性も同じであるべきです。しかし、教育において「女性が男性化」することは、必ずしも最適解ではないと思います。「男女別」だからこそできることもあるはずです。差別するのではなく、むしろ逆で、女子だからこそ持つ特性や強みがある。教育はそれをもっと活かしてもいいし、活かせると思うのです。

女子だからこそ持つ特性や強みにはどのようなものがありますか?

 一つが「共感力」ではないでしょうか。他者の目線に立ったり、相手を思いやって行動したりできる力のことです。

 例えば、アメリカのトランプ大統領のようなリーダーを想像してみてください。相手を力づくでねじ伏せる剛腕ぶりや、一国主義的な方向性が批判を浴びてもいますよね。こうした、自らが突出してぐいぐい引っ張るやり方や「自分たちさえ良ければ」という独善性は、きわめて男性的な、支配型リーダーシップと言えます。

 先ほど「女性が男性と伍する」という表現をしましたが、この男性的な支配型リーダーシップにまで、女子が合わせる必要はないということです。「社会や時代の流れに即した教育」という観点から見ても、多様性理解を重んじる現代の価値観からは逆行するものではないでしょうか。

 対して女子が長けた「共感力」は、一人ひとりの資質を引き出し全員で組織を引っ張るインクルーシブリーダーシップや、支援型のサーバントリーダーシップと言えます。つまり組織を強制的に引っ張るのではなく支える形で発揮する、フォロワー資質を備えたリーダーシップです。本校は、女子校であることを活かしてそんな女性を育てたいと考えています。

一般企業の人材育成においても、男女でポイントが違うと聞いたことがあります。女性を育てるには、女性らしい貢献意識を承認することが重要だとか。

 そうなんです。男性は自らの能力や地位・名誉、それに対する称賛を原動力にすることが多いですが、女性は少し違います。同じほめるのでも「きみのおかげで助かったよ」といった声がけが良いとされますよね。「誰かの役に立てた」ことを喜べる感性が男性より強いのでしょう。こうした点も女性らしいアドバンテージですし、時代に即したリーダーシップの形だと思います。

空気にさえ感謝できる心が社会問題への当事者意識を生む

その観点は、貴校の風土や教育環境においてどのように発揮されていますか?

 文化祭などの行事においては特に顕著ですね。クラスごとの出し物や、その企画を考案する過程においても、きわめて強い団結力を示します。もちろんそれまでには、意見や多様な価値観の相違から起こるさまざまなぶつかり合いだってあります。でも、女子らしい共感力あるリーダーシップ・フォロワーシップを活かして改善を加えながら、みんなで協働し成功へと導いていくのです。そこに対する集中力や本気度は、純粋すぎるほどすばらしいもの。やり終えたときに多くの生徒が号泣しているのは、真剣さの何よりの証でしょう。

クラブ活動の教育的位置付けも、スタートの発想が少し違うそうですね。

 本校のクラブ活動は、大会で上位入賞をねらうなど、実績・成果を目的としたものではありません。自己を高めるための創造的な主体性を育てる場と考えています。もちろん試合で勝つことを目指してはいけないという意味ではなく「もし勝ちたいなら、そのために技術向上したいならどうするか」を自分で考え、行動に起こせるようにするということです。現代の教育指針に照らすなら「問題発見・解決能力」と言えるでしょう。このような知識や技能をさらに学び、物事を深く考え判断し表現する力は、勉学にもおいてもそのまま活かせるものです。

 よく「クラブ活動と勉強の両立」という言葉を耳にしますよね。誤解のある表現かもしれませんが、私はこの言葉があまり好きではありません。「勉強が苦手だからクラブを頑張ろう」とか、逆に「クラブ活動が忙しくて勉強ができない」と両者を二律背反で論じがちですが、学業とクラブ活動は別々の存在ではなく、学びの場において一元で同じものだと考えるからです。

貴校のそうした環境はいかにして涵養されてきたのでしょう?

 これこそまさに、建学の精神という原点に立ち返るのだと思います。本校創立の歴史は、約120年前にさかのぼります。女性の社会的立場が弱かった当時において、女性の地位向上を目指す教育の場として産声を上げましたが、そのような人間教育を行うために重視されたのが心の教育、すなわち先ほどから申し上げている「女性らしい強み」を活かして育んでいくことだったのです。自分が利益を得るためではなく、周囲の人のため、日本や世界のため。得た学びをもって、他者に貢献できる教養と人格を育てること。ここを曲げることなく貫いてきたからこそ、現在の本校の風土がありますし、失ってはいけない建学の精神だということなのです。

 その根底として、仏教精神の教えに根ざした学校であることも忘れてはなりません。親鸞聖人の浄土真宗の教えは「人は本来、誰もが煩悩を抱えた不完全な存在である。だからこそ共に認め合い、助け合おう」という発想です。人は一人で生きているのではない、自分以外の誰か、あるいは何かに生かされているのだと考えます。

 建学の精神を具現化するものとして「自立」「共生」「感謝」という三つの理念を明文化していますが、ここがきちんと育てば「空気」にさえ感謝できます。「空気のおかげで生きている私」を知るからです。そしてそんな視点を持てるからこそ、環境汚染問題など、さまざまな社会問題に当事者意識を持つことができます。

 教育基本法では、教育の目的を「人格の完成」であると高らかに謳っています。時代のニーズに応えることや「何ができるか」というスキルベースの教育も大事ですが、私たちはこの「教育の目的」、そして何より「建学の精神」に常に立ち返りながら、ぶれない教育を実践していきたいです。

kininarukoushikiwebhekihonjouhouhe