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進学通信No.76-帝塚山中学校・高等学校
11
3月
  • 進学通信No.76-帝塚山中学校・高等学校
  • No.76 . 帝塚山 . 教育問答 . 進学通信 .

PROFILE
1960年、大阪府和泉市生まれ。京都教育大学特修美術科(当時)卒業。大好きな美術と共に歩んできた自らの人生に照らし、子どもたちにも自分の好きなことを追い求めてほしいという教育観を持つ。座右の銘は「今を大切に」。趣味はボウリングで、パーフェクトも4回達成している。

授業は男女別、行事などは合同で行う「男女併学」制度が有名な帝塚山。校長の池辺政人先生は、美術科教員。美術畑を歩んできたからこそ得た価値観、守りたい教育観があると言います。正解なき社会に生きるこれからの子どもたちはもちろん、私たち大人にも大きな示唆をもたらす“本当の自分”との向き合い方について、熱く語っていただきました。

本当の自分はどこにある?好きなことと本心から向き合って
先生が最も大切にされる教育観をお聞かせください。

「現代の教育にモノ申す!」といった大それたことを申し上げるつもりはありませんが、一つだけ強く問いたいことがあります。「自分の好きなこと、できてますか? 本当にそれがやりたいのですか?」ということ。子どもたちは本来誰もが、好きなことややりたいこと、こうありたいと思う自分を持っているはずです。建前や体裁などではなく、心の奥底から欲する真なる自己実現への渇望ですね。しかしそれを押し殺し、同調圧力に屈して社会や大人の求める「優等生」であろうとしたり、人から与えられた夢や目標を追いかけたり、さらにはそれが「自分のやりたいこと」だと思い込んでいたりするのだとしたら、それはとても不幸なことではないかと思うのです。

 さらに、子どもたちだけでなく、保護者や私たち教職員、つまりすべての大人たちにも同じくそう問いたい。大人は、教育や子育てという観点から、子どもたちに「あれをしなさい」「こうしたほうがいい」とさまざまな指導を行いますよね。簡単な例で言えば「勉強しなさい」「進路はこの大学を目指すといいよ」「これからの時代は○○の能力が大切」とか言うでしょう? もちろんそれは子を思うゆえの言葉であることは事実でしょう。しかし、それに対しても「あなたは本当にそう思っていますか」という、掛け値なしの本心を問いたいのです。

 もしかしたら、それはあなた自身の考えではなく、他人の価値観かもしれません。たとえば、時代の「常識」に流されて、自分を見失ってしまったのかもしれません。かつては持っていたはずの本心や理想にフタをし、フタをしたことすら忘れてしまっているのかもしれません。それは自分が本当に望んだことなのか、いま一度、自らに本心を問うていただきたいと強く願います。

人に迷惑をかけなければ何をやってもいい、そのくらい自分を見つめて
大人も子どもも、無意識のうちに「本当の自分」を生きることができなくなっているのではないか、ということでしょうか。

 そうです。あくまで個人的な見解・価値観であり正誤で語れるものではありませんが、私は、自分の子どもに対しても「人に迷惑をかけなければ、何をやってもいい」と伝えながら育ててきました。「あれをしなさい」「この大学へ行きなさい」とか、そうした話は一切言ったことがないんです。

 実際、私自身も好きなことをして生きてきましたからね。私は美術の教員で、今もライフワークとして絵を描きます。誰かに言われたからではありません。ただ、自分がやりたいからです。単に作品を世に出したい、人に見てもらいたい、アートを通じて何かを伝えたいという、言ってみれば自己満足の世界ですね。でもその自己満足は「必要」だから存在するのです。誰にとって、何にとって必要かといえば、それはもちろん自分自身。社会や他人が求めたからではありません。自分が本当に欲していることが、創作活動だったというだけ。大人も子どももみんな、そんな内なる自分に気付き、それに従って生きる。そういう幸福を追求してもらいたいのです。

なぜ、そのようなお考えに至ったのでしょうか。

 私自身も、親にそう育てられたことが影響しているかもしれませんね。高校受験を控えた中3の冬、こんなことがありました。なんと、クリスマスプレゼントが油絵の画材セットだったんです。ふつう、一心不乱に勉強しなくてはいけない時期ですよ? 私も戸惑うやらうれしいやら、勉強しなくちゃいけないけど、目の前に魅力的な画材が並んで、絵の具の独特の香りが鼻腔をくすぐって……もう「どうするんだよ、これ」って(笑)。油絵の経験はなかった私ですが、案の定すっかり夢中になってしまいました。インターネットもない時代ですから、情報収集のために図書館に通い詰めて油絵の技法や道具の使い方を学び、美術の本を買いあさり……ひたすらゴッホの作品を模写していましたね。最初にプレゼントしてもらったキャンバスのストックもすぐに底をつき、家にあったベニヤ板に絵を描く始末でした。

 しかし、思えばそれも、私が「必要」と思ってやったこと。理屈で考えるのではなく、本心がそれを欲していたからこそ、与えられ、させられていたことではなく、自分の気持ちに従って取り組んでいたからこそ、損得勘定抜きでここまで夢中になれたのだと思います。

 幸い、高校受験は希望した公立高校に合格することができ、すぐに美術部に入部。大学も美術系へと進学しました。今、私がこうした価値観で教職に携われているのも、親が与えてくれたあの環境のおかげです。自分の好きなことを追求しても、ちゃんと現代社会を生きていくことはできます。いや、好きなことを大事にしたからこそ、今があるのだと思っています。

貫きたい教育観、生き方…大事なことは美術から学んだ

先生の創作活動は、現在の教員としての価値観や行動に影響を与えましたか?

 それは大いにあったと思いますね。私は若いころ、「現場制作」という方法で個展に取り組んだことがあります。まず作品を創って、会場に持ち込み、展示するというのが普通の個展の流れですが、「現場制作」はまったく手付かずの状態で展示会場に入り、その場でゼロから創作するんです。それこそ開場の24時間前から創り始める、みたいな。まあ言ってみれば、無茶なやり方ですよ。自分でも本当にできるのか、間に合うのかと思いましたが、これができてしまったんですよね(笑)。

 おかげでこう思うようになりました。「どんな状況であっても、答え(方法)はある」と。そして、この一言に帰ってくるのです。「あなたは、本当に好きなことがやれていますか?」――他人の価値観で考えて、諦めていませんか、無理だと思っていませんか、考えることから逃げていませんか、そう問いたいです。

いわゆる“キャリア教育”という教育活動の中で、子どもたちに将来の夢や目標を問うことは多いです。もしかすると、その行為自体が形だけのものになっているおそれがありますね。

 そのとおりです。子どもたちって思った以上に賢いというか、「大人はこう答えておけば喜ぶんでしょ」と先読みしているものですよ。それで、大人ウケしそうなもっともらしい「夢」を、いかにもそれらしく語ります。大人はそれを真に受け、「いい子だ」「すばらしい」とほめて喜ぶ。

 以前、こんなことがありました。子どもの描いた絵を展示会で飾ってもらえることになり、私も観に行ったんですが、なんと展示された作品は、どれもほとんど同じような絵で。「イモ堀りの絵」なら、みんなが同じ構図で、同じような色使い。先生が「イモ掘りの絵はこう描きましょう」と指導したのでしょう。もう言葉を失うというか……。これのどこが教育かと、心の底から残念に思いました。

 みんなが同じ方向を向いて満足しているのは恐ろしいと感じませんか? 多様な価値観があり、いろいろな選択肢があっていいのです。もっと生身の欲求をさらけ出せばいいんですよ。そこには予定調和などありませんし、ぶつかり合いも、心が折れそうな悩みも絶えないでしょう。しかし、そこから学ぶものは大きい。ここから得た学びこそ、大人にとっても子どもにとっても、真に価値ある気づきではないかと思います。

 確かにこれまでは教育界全体も、正解主義な風潮はあったと思います。しかし現代は、こんなにも「正解なき社会をどう生きるか」が問われる時代です。この期に及んで、理想的な子ども像や旧来の正解を押し付けてどうしようというのでしょうか。ですから私は、何度でも言います。「自分の好きなことができてますか? 本当にそれがやりたいのですか?」と。そしてそこから返ってきた答えがどんなものであっても、「それはいいね!」と伝えてあげたい。そんな教育者でありたいと思っています。

悩み、もがいて、自分の答えを正解にしていこう

先生のそのお考えが、貴校の教育活動において反映されているのはどんな点でしょうか。

 特別なことやユニークなことは何もありません。しかし教員たちは、自分の担当教科に強い思いがあって、「自分の伝えたいこと、実践したい授業」を大切にしており、どの教科も簡単にはさせていません。本校は昔から「社会の役に立つ人物」を育んでいますから、生徒たちには苦労をさせています。楽な近道をしようとすれば、無難で型にはまったものにしかたどり着けませんからね。

 生徒たちには、とにかく失敗をたくさん経験してほしい。ただ私はそもそも「失敗などない」と思っています。すでに正解があって、その通りにしないといけないと思うから、それにそぐわない状態をすぐ「失敗」と呼んでしまうんです。そうではなく、先ほども申しましたように、そのプロセスの中にきっと自分なりの答えがある。どんな状況であっても、きっと答えはあるんです。進路指導にしても、大学選びは生徒のやりたいことありきで考えてもらうのが本校の伝統です。

 人って、とかく正解を求めたがる。しかも、できるだけ早く正解にたどり着きたがる。それは人間の性(さが)のようなもので、仕方ないのかもしれません。でもね、私は思うんですよ。「もっと苦労してほしい」と。もっと悩み、もがけばいい。そこには、与えられた正解など必要ありません。自分が苦しみ、思考を重ねてたどり着いた答えを、正解にすればいいんです。そのプロセスにこそ価値があると信じます。

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