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進学通信No.73-洛南高等学校附属中学校
10
3月
  • 進学通信No.73-洛南高等学校附属中学校
  • No.73 . 教育問答 . 洛南 . 進学通信 .

PROFILE
1950年、京都府生まれ。信州大学卒業後、洛南高等学校着任。同校が現在のような屈指の進学校へ変貌を遂げていく、まさにその過渡期において改革に携わってきた。副校長を経て、2015年より中学校校長に就任。謙虚な人柄が魅力である一方で、「師」のありかたには強い信念を持つ。

始まりは約1200年前。空海上人が興した日本最古の私立学校『綜藝種智院』を源流に持ち、世界遺産・東寺の境内に学び舎を構えることでも知られる、洛南高等学校・同附属中学校。東大・京大への合格者を次々に輩出すると同時に、全国レベルのクラブ活動も有する文武両道の学校でもあります。そんな名門の校長が語る教育観とは? 「師」とは? 中学校校長の岩﨑順一先生にお話をうかがいます。

教育を語れるような人間ではないが「師」でありたいと思う
まずは、近年の教育界全体や子どもたちの傾向から、伝えたいこと、思われることはありますか?

 私などが上段に構えて「教育とはこうあるべき!」と高尚に語れることなどありませんし、偉そうなことは何も言えません。それぞれが一人の教育者として、あるいは学校としての理念があるわけですし、何が正しいか間違っているかなど、そもそもないわけですから、それを論じるなんて傲慢なことは、私にはとてもとても…。このインタビューにしても、私に話せることなどあるだろうかと、よほどお断りしようかと思っていたくらいですから(笑)。

 生徒さんに対してもそうです。自分が若かったころと比べることすらおこがましいような、心根の良い、優秀な生徒さんばかりですよ。

とても謙虚でいらっしゃるので驚きました。しかも先ほど、生徒「さん」とおっしゃいましたね。校長先生というお立場から生徒「さん」と敬称をつけて呼ばれる方も、かなりめずらしいのではないかと感じます。

 くり返しますが、私より生徒さんたちのほうがよほどすごいと思うからです。私は教師という立場にはありますが、恥ずかしながら決して聖人君子などではありません。まだまだ足りないところだらけの、一人の人間です。古くからの友人には「よく君に校長が務まるな」なんて茶化されるほどです(笑)。特に若いころなんて、とても傲慢で小さな人間だったと思います。挫折の連続でしたしね。それを思えば、今の本校の生徒さんたちなんて、本当に尊敬に値しますよ。

 ただ、自分が「師」であること、そこに矜持を持って生きることは大切にしています。唯一、譲れないものがあるとしたら、それでしょうか。これは自分への、そして「彼」への約束だからです。

いったい何があったのでしょうか?

 私が最初に「師」という存在や、「師」であろうとする意識を自覚したのは、大学生のころでした。 実はある日、体にしこりを見つけまして、すぐに切除したんです。1週間後、再診に訪れたのですが、医師は「即、入院しなさい」と。「まさか!?」ですよね。単なるデキモノの類と思っていましたし、当時は病名告知に関するルールも整っていませんでしたから、医師もはっきりしたことは決して言わない。でも、偶然見えてしまったんです。カルテに「CANCER」(=がん)と書いてあるのが。

 もう、頭が真っ白になりました。「これまでも挫折ばかりの人生だったのに、ここに来て死の宣告? どうしよう!?」と。それからは、本当に荒れ狂う日々で周囲にもずいぶん辛く当たりました。ご覧のように、結果として私は今も生かされているわけですが、偉そうなことが言える人間ではないとくり返しお伝えしているのも、こういう未熟なところがあったからなんです。そんなときでした。私のその後の生き方を変えた「彼」と出会ったのは。

自分には、まだまだ伝えなければいけないことがある
「彼」とは?

 彼は、私と同じくその病院に入院していた18歳の青年でした。胃潰瘍だと言っていました。

 年も近く、私が大学生だったせいか、兄のごとく慕ってくれるようになりましてね。「ねえ、岩﨑さん。大学ってどんなところ?」「僕は大学に行ったら、あれもこれもやりたいんだ!」と、本当に楽しそうに語ってくれたものです。それでも私自身は、自らを悲観して自暴自棄になっている時期。「大学なんかに行ったって、いつ私のようにがんになって、死んでしまうかわからないんだよ」と、ひどい言葉が脳裏に浮かんでは、ギリギリそれを呑み込むのが精いっぱいでした。

 そんなある日、廊下から何気なく彼の病室をのぞいたのですが、普通とは違う茶色い液体の点滴を打っていることに気付いたのです。鉄分不足の患者が投与されるもので、その原因の多くが胃がんであることを私は知っていました。「どういうことだろう?」。驚いた私は看護師さんに尋ねたのです。「彼は、本当に胃潰瘍なのですか?」と。そこで返ってきた答えは「実は……」。

 そうこうしているうちに、私は退院することになりました。彼にも「また会いに来るわ!」と伝えて。そして定期通院の日、彼のもとを訪ねたのですが、私の目の前にあったのは、ただ空になったベッドに光が差し込む風景。私は呆然と立ち尽くすことしかできませんでした。看護師さんからは「岩﨑さんに会いたいなあ」が最期の言葉だったと聞かされました。

 これが私の人生を変えたのです。もう、どう形容していいかわからないような感情に襲われました。「あれだけ夢にあふれ、大学へ行きたい! と願った若者が亡くなっていく横で、自分の置かれた環境にふて腐れるばかりの傲慢な私が生かされている。今の自分の生き方は何なんだ!」と。そして思ったのです。「私には、まだ伝えなければいけないことがある!」。彼にとって、私は自分にはない経験を教えてくれる「師」でした。そして同時に彼は、私に生きる道を示してくれた「師」でした。大学卒業時、私には教職と一般企業という二つの進路選択肢がありましたが、迷うことはありませんでした。

 今でも生徒さんたちに語るのです。「あなたたちも、いつ“師”という存在になるかわかりません。それは単に教師という職業を言っているのではありません。親となったり、何かの学びや研鑽の場であったり、立場はいろいろあります。そのとき、あなたは自分の生きざまをどう語りますか?何を伝えられますか?」

 その生きざまの良い悪いは相手が判断することであって、「こうするべき」と押し付けるものではありません。私も一人の数学教師として、生徒さんに教科学習を教えていても、なかなか理解してもらえないことはありました。そのとき、つい人は、「こんなこともできないのか!」と高圧的になりがちです。しかし、私はそんなことが言える偉い人間ではありません。時にはミスだって犯します。ただそのとき、私は間違いを犯した自分をごまかすことなく、認めるのです。「あっ、ごめん! 先生、間違えてたわ!」と。当時「先生」とは絶対的な存在であるという価値観もありましたから、異例だったかもしれません。実際、生徒さんからもからかうような笑いが漏れましたしね。でも、それでいいのです。「師」として生きざまを見せるとは、そういうことだと思います。

「人は変わることができる」そのために師であり生きざまを示したい
軽々しく「いい話」などで片づけられない、本当に考えさせられるお話です。「彼」の生き方が、先生を「師」にしてくれたのですね。 では、そうした「師」としての教育観は、貴校のどんな面に活かされていますか?

 確かに本校は、一般的にいう〝進学校〟としての認知があるかもしれません。ただし生徒さんには「知識がすべてではないよ。知識があるから優秀とは限らないよ」と伝えています。知識はあくまで知識でしかなく、それを使うのは人間だからです。そしてそこで試されるのが「人間力」。それを磨いてほしいと思います。

 本校に通う生徒さんたちの保護者さんは、医師や弁護士など、いわゆる社会的地位のある方も少なくありません。しかし生徒さんには常々こう伝えます。「親の威光を笠に着てはいけない。立派なのは親御さんであって、今のあなたたちではない」。ここはしっかり釘を刺しておかないと、子どもたちは慢心してしまいます。そして、それはやがて人格となり、「人間性」という道を踏み外すことにつながりかねません。

 私は、自分の間違いを素直にさらしたり、生徒「さん」と称したりしていますが、それは無闇に甘やかしたり迎合したりすることとは違います。なぜなら「師」とは、友人ではないからです。学力が伸び悩んでいるとき、それは自分が傲慢になっているときだと思います。原因を外に求めたり、自己を正当化する気持ちになっていたり。生徒さんたちは優秀ですが、今はまだあくまで何かを「学ぶ立場」。素直さと謙虚さは欠かせません。しかし一方で「逆にそれさえあれば、進学であれ、もっと先の夢であれ、きっとあなたの望む結果にたどり着くよ」と伝えています。

先生のそのお考えは、貴校の根底にある、仏教的教育思想にも通じますね。

そうですね。「四無量心(しむりょうしん)」という言葉があります。友愛の心を尽くす“慈無量心”、人と苦しみを共にする“悲無量心”、人と喜びを共にする“喜無量心”、人を分け隔てしない“捨無量心”です。これこそ、まさに「師」に求められる素養ではないかと感じます。

 私もまだまだその域に達しているとはいえませんが、そんな中でも自分の経験から伝えられることはあります。それが師としての「生きざまを見せる」ことだと思います。

 よく「人の性格は変わらない」なんていいますよね。しかし、本当にそうでしょうか。私はそうは思いません。だって私が変わったのですから。「彼」の生きざまを目の当たりにしてね。そして本校という場、ならびに教員たちが、生徒さんたちにとってそういう存在であってほしい。ただしそれは、私たちが「変える」のではなく、生徒さんたちが「変わる」のです。私たちは「師」として、そのきっかけを与えているに過ぎません。そんな気持ちで、これからも彼らと向き合っていきたいと思います。
 
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