『聖心(みこころ)の祝日記念行事』の朝、高校生は講堂で『みことばの祭儀』を、中学生は聖堂でミサを受けた。校名にも掲げられている“聖心”とは、苦しみや悲しみを抱える人々に寄り添い、共に生きようとしたイエス・キリストの心を指す。
フェルト生地で『お花ボタン』を縫う生徒。沈黙を守り作業に没頭する。
フィリピンの子どもたちに贈る教材を作った中3 生。「沈黙を守ることで、作ることに集中でき、フィリピンの子どもたちに思いを馳せることができました」「自分の作ったものが皆の役に立つと良いなと考えながら取り組みました」
中学生が沈黙で奉仕活動に取り組んでいるとき、高1は車いす体験や高齢者体験を、高2は校舎を出て、宝塚市の障がい者支援施設で利用者や職員の話を聴き、交流の機会をもちます。高1の車いす体験と高齢者体験のようすを取材させていただきました。
講堂に集まり、車いすを使って生活をされている方の話を聞いた後、3人1組で車いすに乗る、押すなどの体験をします。平らな場所だけでなく、段差や坂になっている所も通ります。「車いすに乗るときは、必ずブレーキを掛けましょう」「段差のある場所では、『降りますよ』と声を掛けて、車いすを後ろ向きにして降ります」など、注意点を聞いた生徒たちは、「段差のある所は、もっとゆっくり降りないと乗っている人は怖いね」と互いに注意をしながら、車いすを使う人たちの視点に立ち考えます。
高齢者体験では、目にゴーグル、耳にカバー、足に重りと膝の自由を奪うカバー、手袋をして、五感や体の動きに制限をかけます。その状態で他の生徒のサポートを受けて廊下を歩き、階段を利用して教室に戻ります。「階段は、昇るときより降りる方がとても怖かった。手袋をしているから、手すりを持ってもしっかり握れない。お年寄りの方は、大変なんだなと実感しました」と生徒は言います。
手袋や膝カバーなどで五感を鈍らせ体の動きを制限されるなかで、高齢者体験をする生徒たち。「身体が思うように動かなくて不安でした。こんなに不自由だとは思わなかった!」
“ 分かち合い”で同じ班に所属した高3 生。「他者の助けを受けなくても生活できる人が自立した人と思っていましたが“ 分かち合い”を通じて、一人で生活できる人はいない、大切なことは、互いに支え合うことだと思いました」「自立とは、経済的に自立していることを指すと思っていましたが『自分の持つ力を最大限に発揮して生きる人こそ自立した人ではないか』と言った友人がいました。私には素晴らしい友人がいることを再発見しました」
この記念行事が最終年となる高3は、これまでの経験に加えて、総合学習の授業で学んだ手話や点字、絵本の拡大写本、夏休み中にフィリピン、カンボジア、韓国などで取り組んだ体験学習や、国内の老人ホームなどでの経験を踏まえて、与えられたテーマに基づいて、自分の体験や考えをもとにした意見を他者に伝え、同時に他者の思いを受け止める“分かち合い”を行います。午前中は、体験学習で行動を共にした生徒同士、午後はそれぞれ異なる奉仕活動を経験した生徒で班を組み、“分かち合い”と発表を行いました。今回のテーマは「共生・自立・依存」。何をもって「共生」したと言えるのか。どのような状況を「自立」というのか。
「依存」とは何を指すのか。答えのないテーマに果敢に挑む生徒たちの真剣で熱いまなざしが印象的でした。
沈黙を守ることで、遠くで暮らす人々に思いを馳せる中学生。車いす、高齢者など不自由を感じることが多い環境に置かれた人たちを思いやる体験学習に取り組み「より良い社会をつくるために必要なことは何か」について意見を交わし、考える高校生たち。同校の伝統行事であるこの取り組みは、人々に寄り添ったイエス・キリストの生き方を思い、奉仕の喜びを学ぶ貴重な機会として、これからも受け継がれていきます。
「共生・自立・依存」をテーマに発表を行う高3生。答えがないテーマに挑むことは、彼女たちの生きる力にもなる。
1923年、同校の前身となる「住吉聖心女子学院」が開設されてから現在まで、キリスト教の価値観に基づき「より良い社会を築くことに貢献できる賢明な女性を育てる」という教育目標のもと、「魂を育てる」「知性を磨く」「実行力を養う」の3つの柱で多くの卒業生を輩出してきた同校。