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進学通信No.66-帝塚山学院中学校・高等学校
29
5月
  • 進学通信No.66-帝塚山学院中学校・高等学校
  • 2016 . My Growth Story . No.66 . 帝塚山学院 . 進学通信 .
帝塚山学院
PROFILE
◆帝塚山学院への志望動機

母が卒業生で、いつも「良い学校」と言っていたから。小6の時に『関学コース』が開設されたのも魅力でした。

◆中高時代の所属クラブ

中1から高1までサッカー部に所属。ポジションはボランチでした。

◆中高時代の夢や目標

中学時代は「学校の先生」。高校で海外に行き「海外を視野に入れた仕事」に変化しました。

◆進学した大学

関西学院大学・国際学部

◆大学で学んだこと

語学を中心に、国際関係論を学びました。

6年間+αの軌跡
中1 サッカー部に入部
中2 先輩と後輩に恵まれ、さまざまな年代の人とのコミュニケーション力を身につける。
中3 サッカー部に情熱を注ぐ。
高1 将来の進路を真剣に考え始 め、大学への準備を進める。
高2 大学の学部研究をしながら 勉強に取り組む。夏休みに イギリスを訪問。
高3 夏休みにオーストラリアへ。コーラスコンクールでは優勝を目指し、編曲やピアノ伴奏を担当。
「先生になること」を夢見て関学コースに入学

現在、関西学院大学・国際学部4年生の御喜田さんが帝塚山学院に入学をしたのは、お母さんが同校の卒業生ということと、小6のときに『関学コース』が開設されたことが大きかったと語ります。御喜田さんの当時の夢は「先生になること」でした。「教育学部に進学して、先生になるための勉強をしながら海外留学もしたいと思っていました。どの学部に進学しても海外留学ができるという関西学院大学に、絶対に入学したいと思ったのです」

初は教育学部を志望していた御喜田さんが、実際に入学したのは国際学部でした。学部変更には、何か理由があったのでしょうか。「海外へ行ったことがきっかけでした。高2の夏休みにイギリスへ、高3でオーストラリアを訪問しました。最初は英語も片言しか話せずたどたどしかったのですが、慣れてくるとスムーズに話ができるようになったのがうれしくて。将来は、海外を視野に入れた、英語を使った仕事がしたいと思うようになりました。この頃に、関学には国際学部という学部があって、『国連ユースボランティア』に参加できるチャンスがあると知り、参加してみたいと思ったのです」

それまで、クラスメートと関学の学部について調べていた御喜田さんの心が決まった瞬間でした。「あこがれの大学に行くのだから、充実した大学生活を送りたいという思いで、学部について徹底的に調べました。友達と情報交換して意見を交わすなど、学部研究そのものが楽しかったことを覚えています。先生に相談すると、『関学の国際学部は言語に重点を置いている。総合政策学部という学部もあり、これらの学部は卒業後、国連や外務省などで仕事ができる可能性が高い』と教えてくださいました。このような先生からのアドバイスを聞くたびに夢が広がっていったんです」

それまで、クラスメートと関学の学部について調べていた御喜田さんの心が決まった瞬間でした。「あこがれの大学に行くのだから、充実した大学生活を送りたいという思いで、学部について徹底的に調べました。友達と情報交換して意見を交わすなど、学部研究そのものが楽しかったことを覚えています。先生に相談すると、『関学の国際学部は言語に重点を置いている。総合政策学部という学部もあり、これらの学部は卒業後、国連や外務省などで仕事ができる可能性が高い』と教えてくださいました。このような先生からのアドバイスを聞くたびに夢が広がっていったんです」

中高生にとって進路選択は、期待と不安が背中合わせであることが多いもの。ところが帝塚山学院の『関学コー ス』は大学受験がないという心の余裕もあり、御喜田さんの心には〝不安〟よりも〝期待〟と〝夢〟がふくらんでいたといいます。

学校生活すべてに全力で取り組んだ6年間

大学受験のない環境はまた、定期テストなど、普段の学習の成果が重視される6年間が続くことを意味しています。そこには大きな緊張がともなうのではと想像してしまいます。「もちろん勉強は頑張りました。でも、帝塚山学院での学校生活は、やりたいことをさせてもらえた自由で楽しい6年間でした」と応えてくれます。そんな御喜田さんに、忘れられないエピソードを教えてもらいました。「中1でサッカー部に入部して、高1まで続けました。未経験でしたが、先輩に誘われて入部したんです。部員数が少なかったので、先輩と後輩の仲が良いのが自慢でした」

クラブ活動は、自分が興味のある分野の技術を高めると同時に年齢の異なる人との人間関係を学ぶ絶好の機会。御喜田さんも、後輩のサポートをしたり、大学受験をする先輩を気づかったり、考えて行動したと語ります。「高3のコーラスコンクールも忘れられません」と御喜田さん。高3のとき、今まで以上に深い絆でつながったクラスメートたちと優勝を目指して頑張った思い出があるそうです。「最後のコーラスコンクールは、絶対に負けられないと、優勝を皆で誓いました。自由曲で森山直太朗さんの『生きとし生ける物へ』を選曲。私たちらしく歌いたいということで、編曲をしました。私は、エレクトーンが弾けるので編曲と伴奏を担当することになったのですが、伴奏はピアノで行いますからエレクトーンとは演奏法が違います。でも、やると言ったからにはやらなくちゃ!と、音楽の先生にピアノ指導と編曲のアドバイスをお願いして、1カ月半かけて本番に備えました。先生は放課後遅くまでつきっきりで教えてくださいました。担任の先生も常に気にかけてくださっていたし、母も『美味しいご飯をつくって待っているから、練習がんばって』とはげましてくれました。『私は周りの人たちにこんなにも支えてもらっているんだ』と実感しました」

コンクールは見事に優勝。優勝が決まった瞬間、クラス全員が手をつないで立ち上がり、喜びを分かち合ったそうです。この出来事を通じて、御喜田さんは「周囲の支えや助けが、どんな困難をも乗り越える力となると感じました。またこの体験から、頑張っている人をどのようにサポートするのが相手のためになるのかを考えるようになりました。何も言わずに見守ることが良いとき、声をかけるのが良いときなどいろいろありますが、自分が経験したからこそわかったことです」

『高大連携プログラム』で大学で学ぶ意味と意義を知る

コーラスコンクールで優勝を勝ち取るために、初めてのピアノ伴奏や編曲に取り組んだ御喜田さんですが、心がけていたことがあるといいます。「それは勉強です。大学受験がないぶん中高時代の成績で希望する学部に進学できるかどうかが決まるのですから、成績を下げるわけにはいきません。コーラスコンクールの練習と勉強を両立させるように頑張りました」

そんな御喜田さんの大学進学へのモチベーションを高めることにつながったことの一つに関学コースが実施している『高大連携プログラム』が挙げられます。「このプログラムで、関学の上ヶ原キャンパスに行きました。初めて大学の教室に足を踏み入れたときの感動は忘れられません。大学ではこんな大きな教室で勉強できるのかと思いましたし、また、このとき教授が『大学では知識を得るのでなく、考える道筋を広げるための勉強をします。答えを教えてもらうのではなく、どうすれば良いのかを解き明かすために自分で考えるのです。4年後、あるテーマについて自分の考えを、自分の言葉で述べることができたら、それは充実した大学生活を送ったといえるでしょう』とおっしゃいました。この話を聞いた途端に心が震えて、大学で学ぶ意味、そして学んだことを社会にどのように還元できるのかを考えるようになったのです」

新しい教育制度を取り入れた学校開設のスタッフとして夢が実現

人生は出会った人、経験によって形づくられます。『関学コース』での6年間の出会いと経験で「学校の先生になる」という夢に、「国際的な仕事」というキーワードが加わった御喜田さんの夢は、国際学部での学びで輪郭がさらに明確になって行きます。その決め手になったのは、大学2年生のときに参加した『国連ユースボランティア』での出会いと経験でした。これは、学生を発展途上国にボランティアとして派遣し、見聞を広げるための2004年から始まった取り組み。「20歳以上であること。学業成績優秀であること。TOEICR630点以上の英語力を有すること」という参加条件に加えて「発展途上国の厳しい生活環境や異文化の中でも心身の健康を維持し、困難な状況に対応できること」などが挙げられます。御喜田さんは20歳になった大学2年生の時に、このボランティアの試験に合格。5カ月間、サモアの国連にボランティア職員として派遣されました。南太平洋に浮かぶ島・サモアでの経験は、カルチャーショックの連続だったといいます。ところが、この経験が御喜田さんの行く手を決定づけます。「約束を守らないとか、自分のものと人のものの区別があいまいなど、なんで!?ありえない!の連続でした。ところがそれが新鮮で楽しかったのです。そして、国際的な視野を持った仕事をするには、多くの知識と経験が必要だとわかりました」

御喜田さんが体験した「ありえない!」という体験は、異文化体験そのもの。当時の御喜田さんにとっては理解できないだけで、何が正解なのかは簡単に答えられるものではありません。
また、異文化の壁は国境の壁でもあります。その壁に対応できる国際感覚を持つ人物を育てる『国際バカロレア』という教育プログラムが、今後日本でも実施されます。今春、御喜田さんは
国際バカロレア教育を取り入れた学校設立メンバーの一員となりました。「新しい教育システムが日本に導入され、どのように浸透して、何が変わって行くのかを目の当たりにすることができることに大きな喜びを感じています。帝塚山学院での経験を生かして、どんなことにも興味を持って、積極的に取り組み、そして、職場で必要とされる存在になって社会の役に立ちたいと思います」と御喜田さん。その笑顔には、何にでもチャレンジすること、やればできること、人と人のつながりを実感し、人生は喜びに満ちていると素直に感じ取る感性を育むことは、すなわち生きる力を育むことが表れているように感じました。

コーラスコンクールの伴奏と編曲を担当した時の楽譜にはメモ書きがびっしり。優勝にかける熱い思いが伝わってくる。

御喜田さんが習慣にしていたこと

❶『関学コース』は中高時代の成績で進学できる学部が決まるため、学校行事にも積極的に取り組みつつ、成績を落とさないように予習、復習を心がけた。

❷英語は「長文「」コミュニケーション英語」「英語表現」「TOEIC対策」、社会は「現代社会」「日本史」「政治経済」など、高校時代の授業は、大学の学びと結びつくものも多いため、毎回の授業を真剣に受けた。
恩師が語る!「こんな生徒でした」
高2〜高3時 担任 伊藤 統也先生
これからもどんなことも楽しんで 取り組める人でいてください。

高1・高2時代の御喜田さんは、繊細でまじめな生徒でした。勉強や学校行事に真剣に取り組み、クラスメートとの交流などを通じて高3になる頃にはよい意味で大人になったように思います。もともと成績の良い御喜田さんでしたが、自らを追い込むようなところもありました。大学生になって母校に来て、国連ユースボランティアでのことを楽しそうに話してくれた姿を見て、人としての根幹が太くなったと実感しました。この春、関心のある分野の仕事に就くことができて本当に良かったと思います。

コーラスコンクールで優勝した時の御喜田さん(左端)。一生けんめい取り組んで結果を出した自信と達成感にあふれる表情。

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