岡本くん
授業見学会や入試説明会で見た、勉強も部活動も頑張っている在校生の姿がカッコ良かったからです。中学では毎月行事があり、特別講演会には、宇宙飛行士の山崎直子さんのような超有名人も来られます。
多くの生徒が塾に通わず、難関大学に合格しているから。授業見学会や入試説明会では、理科の先生が身振り手振りを交えて天気の話をされ、すごくわかりやすかったです。どの先生も教え方がていねいで、さらに「家庭との連絡を密にしてくれる学校なので安心」と母が言っていました。
岡本くん
高3の時の英語の先生は、姿も話し方もネイティブのようで、かつジェントルマン!言語の本質や、文章を読み込むテクニックを教えてくれました。
生物の先生は、メリハリのある話し方で生徒を惹きつけます。実験なども毎回ショータイムのようなんです。
ショータイムと言えば、日本史の先生もドラマ仕立ての説明が面白く、毎回“続き”が待ちきれませんでした。
岡本くん
中3のしまなみ海道夜間歩行です。疲れが頂点に達したとき「ここで死にたくない」という、みんなの気持ちが一つになりました(笑)。凍えそうな3月の深夜2時、休憩所で待っていたお母さん方手作りの豚汁で、体も心も温まりました。歩行後の達成感は、それまで味わったことがないくらい大きかった。
中2は志賀高原、高1は赤倉で行われたスキー実習。中途半端に終わらせないのが開明の行事の特徴で、2回の経験で滑れるようになりました。赤倉では猛吹雪に遭い、10m先が見えなくて怖かったことも忘れられない思い出です。
中学の文化祭はクラス展示や舞台発表を行います。中1のとき、ピタゴラスイッチの展示と“桃太郎”の演劇をしたら、来校者に大好評でした。
中2のときは、教室に木造のジェットコースターを設置。すぐに壊れないよう、急カーブの角度や木の強度も正確に計って製作しました。高1、高2のときは新校舎建設のため、文化祭の代わりに演劇や自主映画の発表が行われ、僕は映画で監督と役者を兼任。みんなをまとめる苦労を知りました。
河上くん
新校舎を使えたのは1年間だけでしたが、教室も廊下も統一感があって広々としていて、リラックスできる空間がお気に入りでした。最初の頃は、友だちと散策路を行進しながら大はしゃぎしました。
シンボリックなエントランスの大階段が自慢ですが、高3の教室は新校舎の5階にあるので、新校舎初登校日に長い階段を登ると、筋肉痛に(笑)。
岡本くん
理学部はまったく“ゼロ”の状態から新しいモノを発見する楽しみがあります。宇宙の広がりや天体の動きについての研究にも興味があります。
物理が好きで機械系の分野へ。ゲームクリエーターにあこがれて情報工学を選んだのですが、人工知能の研究開発もしてみたいです。
岡本くん
中学時代は、単語や漢字、公式などは、完全に覚えきるまでテストがくり返されました。
中学で基礎を身につけ、高校の授業内容を確実に理解すれば、大学受験は乗り切れます。僕は学校で授業内容を完結させて、家では宿題だけをやっていました。
高1・高2の勉強合宿では、自学自習の習慣がつきます。最初はキツかったけれど、やり切ると達成感があり、自分の身についていることがわかりました。
勉強合宿は、大阪や和歌山のホテルに缶詰めにされ、1日10時間以上勉強しながら自分のリズムをつかみます。とはいえ、この頃の僕は「勉強したくない」の頂点を極めていたので、できるだけ勉強をしないで成績を上げるため、ムダを省いた効率の良い勉強法を考えました。
大事なのは集中力だよね。友人にも勉強を教えることで、確実に内容が頭に入りました。
自分の部屋の壁に公式やキーワードを書いて貼っていくと、その動作だけで覚えられました。たとえば、世界史なら重要な紛らわしい関係をまとめ、公式もその意味や解答に至る過程まできちんと書きます。部屋に入った家族や友だちには「ヘンな“おふだ”みたいで気味が悪い」と言われましたが(笑)。
僕は英語が苦手だったので、高2の終わりから自宅での生活を“英語漬け”にしました。家族に英語で話しかけたり、意味を教えたりしていると、母も英語で返してくれようになりました(笑)。
岡本くん
読書です。知識だけでなく、小説なら感情、感性も吸収できるからです。
“やりたいこと”を見つけてください。本校は行事が多いので、興味のあることや特技を見つける機会もいっぱいあります。
河上くん
卒業生が安心して戻って来られる、故郷みたいなところ。6年間で築いた先生や仲間との絆の強さをあらためて感じています。開明で人間力を磨き、さらなる目標を持って頑張ってください。
家から遠いのに、つい母校に帰ってきてしまいます。自分がなぜ開明に入ったのかを忘れず、夢を実現するために学校生活を送ってください。