中1 | テニス部に入部 |
中2 | 『特進Aコース』から『医進コース』へ |
中3 | オーストラリア研修。一緒に行ったメンバーとは今も仲良し |
高1 | テニスに明け暮れる日々! |
高2 | 生徒会執行委員に就任 |
高3 | 医学部へ突然の進路変更 |
小学校の卒業文集には「将来は医師に」と書いたものの、当時は単なるあこがれでしかなかったという永野さん。中学入学時には『特進Aコース』でしたが、優秀な成績が認められ、中2進級時に、主に医学部系進路を目指す『医進コース』へとステップアップしました。しかし、具体的な進路を意識する段階になってからも、研究者を目指して大阪大学の工学部を第一志望に考えていたそうです。
そんな永野さんが医学部進学へと方向転換したのは、なんと高3になってから。お父様がガンを患われたことで「病気に苦しむ人を助けたい」と思ったのがきっかけでした。とはいえ、この時期になっての急な進路変更。しかも超難関の医学部です。担任だった栗原静雄先生も最初は驚きましたが、事情を聞いて発奮。
「よし、それなら合格する・しないは二の次や! とにかく、一緒に頑張ろう!」
と、全力でのバックアップを誓ってくれたのでした。
永野さんはお兄様も医学生。医学部の学費は高額なため、できれば国公立大学の医学部に進みたいと考えていました。そこで、栗原先生と一緒に全国の医学部を探すなどして、結果、和歌山県立医科大学医学部を第一志望として目指すことになったのです。
そして見事に合格。ところが意外にも、合格の知らせを聞いたときのお父様の第一声は「あ、そう」と、そっけないものだったそう。
「そんなにドラマチックなものじゃないですよ(笑)」
と、永野さん。おそらくお父様も「我が子なら必ず受かる。大丈夫」とわかっておられたのでしょう。
小学校〜高校とボーイスカウト活動を続けていたという、アクティブな性格の永野さん。決して勉強一色の中高生活ではなかったそうで、テニス部の活動も、毎日一生けんめいに取り組んだと言います。地区大会で優勝するなど、戦績も立派なものでした。
もともと、「勉強だけに集中しなさい」と言わないのが帝塚山学院泉ヶ丘の校風。むしろ部活動を積極的に奨励しており、永野さんも、「それがよかったんです。部活をしていたからこそ、時間の使い方が上手になりました」と振り返ります。
実際、部活が終わると帰宅するのは19時〜20時ごろ。身体は疲れていますが、そのまま眠ってしまうともう起きられません。夕食を食べ、23時くらいまでに勉強を終わらせるという、ムダな時間を過ごさない自己管理力が自然と身についたそうです。
<写真>部活動をしているからこそ、時間の使い方が上手くなったという永野さん(後列右より5番目)。
また、部活だけでなくあらゆる学校行事においても手抜きナシなのが同校の伝統。永野さんも高2で生徒会に入り、多くの行事運営に携わりました。同時に、クラスで演じた文化祭の劇では、主役を務めたそうです。ほか、開校以来続く恒例行事『クロスカントリー(4〜5名ごとにチームを作り、約40㎞の道のりを踏破するというハードなもの)』や、オーストラリア研修でのホームステイ経験など、とにかく楽しかった思い出しかなく、そのすべてに真剣に向き合うことで、勉強にも真剣に取り組む強さを育ててくれたと言います。大学入学後、いわゆる〝進学校〟と呼ばれる他校から進学してきた同級生たちが、高校時代の思い出を「勉強しかしていなかった。しんどかった」と語っていたことに「えっ?僕はいろんなことをやって楽しい毎日だったのに」と驚いたそうです。
永野さんは、中高6年間を通じて、特に勉強をつらいと思ったことがないそうです。それは、永野さんが取り立てて勉強好きな生徒だったからではありません。週刊マンガ雑誌の発売日が楽しみで仕方ない普通の中高生でしたし、勉強が好きかと問われれば、「別に好きじゃなかった」と言います。ではなぜ続けることができたのでしょう?
その理由を永野さんはこう分析します。
「課題や予習・復習などは、するのが当たり前の環境でしたから。無理にさせられているのではなくて、自然とそういう雰囲気があったというか。やらない人がいなかったので、『そういうものだ』と思っていたんです(笑)。呼吸をするのや食事をするのと同じように、理由なんていちいち考えない、勉強に対してそういう感覚だったんでしょうね。確かに、部活にも行事にも、遊ぶことにも没頭していましたから、忙しいといえば忙しかったです。でも、忙しければ自分で計画を立てて、それぞれを時間内に終わらせていくしかないじゃないですか。していたことといえば、それくらいです。逆に僕は『勉強しろ!』とあからさまに押し付けられるとやる気をなくすタイプ。だから、この〝するのが当然〟という空気が合っていたんだと思います」
受験勉強に対しても、特に〝受験勉強〟だという意識はしていなかったそうで、先生から与えられた課題を実直にこなしていれば、受験に対応できる学力がちゃんと備わっていたそうです。
「毎月、何らかのテストがあるので、そのカリキュラムに沿って頑張るだけでした。ただ、この学校で学んだ勉強のスタイルは、大学に入ってからもかなり役立っています。具体的には〝書く習慣〟です。今ちょうど大学の試験前なのですが、この勉強がスムーズに進んでいるのも、教科書からノートへのまとめ方や、〝書いて覚える〟クセが身についていたからだと思います」
そしてやはり、今の自分があるのは「この学校のおかげ」と言います。母校の教育方針で特に感謝しているのは、勉強だけでなくさまざまな経験に没頭させてくれたおかげで、「するべきことを当たり前にする」「オンとオフの切り替えをハッキリつける」など、人間的な成長ができたことです。
そんな永野さん、現在はまだ基礎医学を学んでいる段階ですが、将来的には臨床医として現場に立ち続ける道に進みたいそうで、その決意を語ってくれました。
「幼いころ、祖父母について病院に行ったとき、カルテやPCの画面ばかり見て、こちらを一瞥(いちべつ)もせずに問診する先生がいたんです。僕は、あんなふうにはなりたくない。いつも患者さんときちんと向き合い共にある、そんな医師になりたいです」
勉強ばかりではなくて、趣味や遊び、リフレッシュの時間を取る。勉強中は無駄な時間を作らないように。ダラダラせず、計画性をもって集中して取り組む。
“ 学校の勉強” と“ 受験勉強” を分けることなく、学校で出された課題やカリキュラムを素直に実行した。
課題提出や勉強のルールなど、しなければいけないことは、つべこべ言わずにするのは当たり前!
まだ診療科は決めていませんが、研究医よりも臨床医をめざしています。
患者さんと接していたいからです。
「病気だけではなく患者を診る」——
そんな“人”と“ 心” に寄り添える医師になりたいです。
中2 〜高3時担任 栗原 静雄先生
「当時から、一見おとなしそうに見えて、中身はしっかりした生徒でした。プレッシャーをプレッシャーと思わない、自然体の強さがありましたね。本校での学習指導は、どんどん先取り学習して受験勉強に備えますから、生徒にしてみればしんどい時期もあるでしょう。ただ、人生において中高時代はかけがえのない時期。勉強だけでなく、いろんな経験を積んで欲しい。だから、部活動も学校行事も、全力で取り組ませてあげたいと考えています。永野くんはテニス部の他にも、生徒会などを通じて深く行事に関わっていました。人はつい、成功だけを求めがちですが、時には失敗が糧となります。人生に無駄な経験など何もない、そんな気持ちで教壇に立っています」
<写真>生徒会活動にも積極的に取り組む永野さん(左より2番目)
(取材・文/松見敬彦 撮影/中川誠一)