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進学通信No.61-灘
03
8月
  • 進学通信No.61-灘
  • 2016 . No.61 . 灘 . 進学通信 .
灘
灘中学校・高等学校OB。北海道大学文学部でロシア文学を専攻。北海道の学校で非常勤講師、大阪の工業高校の教員を経て、母校へ赴任。教科は国語。
貴校は、全国有数の進学校として知られています。2020年の「思考力」「生きる力」を重視した大学入試改革について、どのように捉えていますか。

まず、文部科学省の改革の具体像が見えてこないので、今の段階では何も言えないですね。ただ、「生きる力」や「本物の学力」は、今でも本校の生徒につけさせていますから、心配していません。

どのようにこうした力を育んでいるのでしょうか。

本校は、中学入試から生徒の「考える力」を見ていますし、生徒もただ覚えるよりも、覚えた知識を使って考えることが好きな子どもたちです。今回の改革で言われている「生きる力」とは、何が起こるかわからない際に、自分でどの
ように対処するかということです。与えられた材料を使って最大限に考えることが好きな生徒たちが集まる本校ですから、もともと改革の方向性に合致しているのです。

ただ、私が思うのは、現在の東大や京大の入試問題でも、考える力がなければ解くことができません。考える力の有無をきちんと見ているこれらの大学まで十把一絡げにして、「改革させる」と言うのは視野が狭いように感じます。

今回の入試改革の理由の一つは大学生の学力低下の問題があると思います。大学全入学時代になり、勉強しなくても大学に入れるという層が増えると学力は低下します。でも、きちんと勉強している層は、学力が低下していません。

また、大学生を雇い入れる会社側は、「今の大学生は役に立たない」と言いますが、大学のアカデミズムと入社後の会社員教育とは
違うでしょう。そこをきちんと整理できているのかなと思います。

本校のように、ほとんどの生徒が大学に行く学校もあれば、就職する生徒が多い学校もあります。学歴重視の評価基準とは別の、違うものさしがあっていいと思います。進学指導について本校では、子どもたちが自分で考えた気持ちを大事にしています。就職でも大学でも、自分の信念に従って頑張ればいい。高卒で就職すれば、仕事に早く熟練できる。そこを評価することが大切です。

考えることが好きということは、もともと勉強が好きということでしょうか。

全科目ではありませんが、ほとんどの生徒が「これは好き」というものを持っています。大半は、数学ですね。中学の入試科目にはありませんが、入学してから「社会科が好きになった」という生徒も結構います。これは、各教科の先生方が、生徒の興味を引き出す工夫をしているからだと思います。

先生は国語科でどのような指導を?

僕個人として、〝量は質に転化する”という信念があるので、テストも課題も量をさせました。生徒には「問題が多すぎて考える時間がありません」とも言われましたが、量をこなすうちに「本物の国語のおもしろさがわかりました」という生徒もいましたので、捨てたものではないかなと思います(笑)。

具体的には、中1の夏休みの宿題に、『竹取物語』を全部読ませました。高校生では、『源氏物語』。あとは、暗唱教材です。言葉のリズムや流れなどが身につくので、有名な小説の冒頭や詩をたくさん暗唱させました。中1の冬休みには、宿題として百人一首を全部覚えさせ、中2は形容詞、形容動詞などの用言、中3では助動詞と、毎年百人一首を材料に冬休み明けの宿題考査をしました。かるた大会も恒例行事でした。

「灘は宿題が出ない」

という噂がありますけれど、各教科とも、宿題は結構出していると思います。日々の宿題もありますが、長い期間の中でいつまでにこれだけのことをやる、という宿題が多いですね。課題の進め方は、生徒それぞれ自由です。

長期休暇中は、クラブ活動がない限り、生徒も教員も完全に
休みです。長期休暇が終わると宿題考査があるので、生徒は自分のやり方でそれぞれ勉強しています。唯一、高3の夏休みに5教科の夏期講習を開講していますが、参加は希望制です。

自由だからこそ、自分で考える力がつくのですね。生徒の学力を伸ばすために、競争を促す取り組みはしていますか。

生徒同士が勝手に競争していますよ。中間、期末など考査のたびに、得点の分布表を出していますので、自分のおおよその位置はわかりますし、仲間内で「俺は、何点だった」というレベルで常に切磋琢磨しています。

自由な校風は、中学入学から卒業までの6年間、同じ先生方が担当する学年団制度の影響もあるのでしょうか。

教材も授業も含めて、学年団のそれぞれの教師が自由に指導しています。その結果、無論責任も生じます。これは僕の考えですが、〝先生は生徒に鍛えられるもの”だと思っています。変な教え方をしていると、生徒から「先生、それは違うと思う」と言われたり、テストの点数が悪くなったりします。すると、教師はまた努力します。

一方で、本校は〝生徒が生徒を育てる”学校とも思っています。生徒同士がお互いに刺激し合って、互いの隠れた才能を見つけ出す。そのなかで、生徒が「俺にはこんな能力があるんだ」と自ら気が付いて伸びていく学校です。

先生ご自身も灘出身ですが、現在の風土は、当時から変わっていませんか。

僕が入学した当時は、もう少し堅苦しい学校だったと思います。制服、制帽があり、髪型は丸刈りでしたから。転機は、1969年から70年の大学紛争を受けて起こった高校紛争だと思います。ただ、本校では紛争が起きる前に、頭髪が自由化されて、次に制服も自由になりました。ただ、自由化しても、生徒の学力は落ちなかった。もともと自由な気風はありましたが、本物になったのは、こうした流れがあったからだと思います。

先生が灘に入学したきっかけは?

私が小学3、4年生の頃に教師だった父から、「日本一の中学に行く気あるか?」と聞かれ、〝日本一”という言葉に興味を抱いたことがきっかけです。日本一の学校へ行って日本一の生徒になる!ぐらいの勢いですよ(笑)。

当時は、算数、理科が得意で、国語が苦手でした。でも、灘には数学ができる生徒がたくさんいる。英語はさらに苦手。自信を失って、文学の世界に逃げ込みました。
本はもともと好きで、古本屋をめぐっていました。文学の世界にのめり込むうちに、周囲の友人も「あいつ、文学はすごいで」と言ってくれる。すると、「そうだ、俺は文学ができるんだ」と。友人たちが、ある程度、人生の経路をつけてくれたわけです。

その後、大学で教員免許を取っていたので、卒業前に大阪府の教員採用試験を受けてみると合格しました。一方で、僕は文学者を目指していたんです。そこで大阪府の教員を辞退して、1年間、研究生生活を続けながら大学院入学を目指しました。生活のためにその
1年間は、北海道で非常勤講師をしていました。ここが教師生活のスタートとなったのです。
1年後、大学院の試験を受けると、専門教科は全体で2番目の成績でしたが、英語がだめで落ちた。そこで再度、大阪府の教員採用試験を受けると、また合格したのです。大学院に2回落とされて、教員試験は2回合格させてもらった。もう教員になるしかないでしょう(笑)。赴任先の工業高校では、全日制と定時制も教えました。

灘に赴任したきっかけは?

僕の恩師でもある当時の校長先生から、「一度、学校に遊びに来ませんか」という葉書がきたんです。

行ってみると、ある先生が辞めるので、灘に来ないかという話でした。面接の質問は2つだけでした。「国語が好きか?」「はい」。「出世したいか?」「いいえ」。これで合格でした。さらに、校長先生は、「灘の先生は優秀。優秀な先生は良いけれど、出来の悪い子の気持ちがわからない。君ならわかるやろ」と言うんです。それは、お手のものです。灘で散々苦労して、浪人して大学へ入り、大学院試験に2回落ちた。教員となった赴任先では、バイクで学校に来るような生徒の面倒を見ていたわけです から(笑)。

最近の子どもたちは、コミュニケーションが苦手といわれますが。

世間はね。でも、本校はそんなことないと思いますね。やはり、6年完全一貫の関係は深いですよ。僕は、「学年団と生徒の結びつきは運命的な出会い」と言っています。先生も生徒にとっても、否応なしに担当が決まりますから。「あの人嫌い」と言っても仕方がない。そういう環境を6年間続けるからこそ、生徒も先生もお
互いの性格がわかる。人間関係も深くなっていきます。

ただ、対人関係が苦手という子は、昔よりも少し増えているかもしれないですね。でも、本校にいると、少し変わりますね。今年の高3生で、少しでも始業時間に遅れると、教室に入ることもできなかった生徒がいます。でも、そんなシャイな子が、体育祭の応援団で応援演舞をしていたんです。感動しました。おそらく、「やろう」と誘った友人がいたと思いますが、本人も「やる」と応えた。それは、お互いの気持ちがつながっているからだと思います。まさに共同体だからでしょう。

最後に、受験生や子どもたちにメッセージをお願いします。

常に言っているのは、「夢中になれることを持ってほしい」ということです。夢中になれることは、努力も苦痛ではありません。勝手に夢中になっているうちに努力とはどういうものかが自然に身につきます。

深い奥行と広ささえあれば、〝鉄道”でも〝昆虫の世界”でも何でもいいんです。そして保護者の方には、子どもが夢中になっていることについては、応援してあげてほしいですね。

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